岡山市新庁舎のこと
時は、安土桃山時代。豊臣政権5大老の一人、宇喜多秀家が入城した『岡山城』。着任直後の難題は、再三にわたる「河川氾濫」でした。秀家は、川の流れを現在のように城の北東を流れるように変え、それは、防備面から堀の機能も兼ね備えました。また、都市計画にも着工し、南北に長い城下町を造り、現在の都市基盤を形作ったのもこのころです。
そして徳川時世後は、新たに着任した池田家により、城改築、付帯施設を含め現在の骨子が完成しました。旭川を隔て築かれた『後楽園』は日本でも稀有な大名庭園です。今は、人々が憩う場所となっています。
さて、令和の世となり、岡山市の新市庁舎が再開発を行っています。そのデザインは、「岡山城」をモチーフにしたそうです。各階にひさしを設けて、天守閣の重なり合う屋根を表現するとか。隣接する『大供公園』は、完成予想図を見ると、都会の杜をイメージします。さながら『後楽園』を彷彿とさせます。のちの代に受け継がれていく『文化遺産』的な存在になってくれることを期待します。
最大の課題は、当初よりも膨れつつある「建設予算」でしょうか。
画像引用:岡山市HP
(スタッフ M)